ウッドロード 誕生秘話【第3章】

第3章

植林記録

みなさん見たくありませんか?

 

杉は植林して使えるようになるまでに50年近い年月が必要で、自分で植えた杉を自分で伐採することは出来ない、使えるのは3代後と一般的に言われています。 今から自分が植えても 使える板になるまでに 今まで生きてきた分以上の 年月が必要になります。 気の遠くなるような時間の流れ。

代表は、なんとそれを実行され、記録に収めていらっしゃいました。


25歳の時に代表の地元熊本に土地を購入されて、昭和47年4月、80cmほどの高さの 杉を1000本植林。

ススキの高さ。 自分はまだ生まれていません。

 

森を購入杉の植林杉の間伐台風被害

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めは3反=900坪から始められ今では6町=18000坪。
大阪と熊本を何度も行きかい 山に肥料をやり、草刈、枝を落とし、間伐。
時には台風の被害にも遭いながら。

年月は過ぎ、代表とお父さんとお友達が42年間大切に育てた杉は、
驚く程大きく立派な森に育ちました。

 

いつかは自分の目で見てみたい・・・そう思っていた代表の森。
まさかその森へ自分が訪ねることができるとは!

 

それは自分のこの一言から。
「内装はすべて代表の育てた杉を使いませんか?」

 

今回の教室を作るにあたって代表の杉を使うことが決まり 使えるのなら妥協はなし!
壁や床や天井の見えない下地部分、建具、棚、すべて代表の杉。
それ以外は使わない!
どんなに小さな木材も妥協なし!杉!代表の杉!

これができないのならウッドロードをやるべきではないと思いますし、
ウッドロードはここから全てが始まる。

多くの人に見てもらいたい!
木を感じてもらいたい!
こんな偉業を成し遂げた代表のことを知ってもらいたい!
そんな強い想いがありました。

 

店舗の内装で必要な木材を計算してみると・・・

4mの丸太が1650本も必要になることが分かり、
この時11月初旬、 3月末のオープンまでたったの4ヶ月。
杉はまだ山の中に立っていて 状態も大きさもわからず、
伐ってくれる林業関係者、製材してくれる業者も見つかっていない、
自分たちが動けるのは休みの日だけ。

 

どうやったらこの状況で間に合うと思えるのでしょうね。
考えがあまりにも無謀だったのだと今ははっきり分かります。
とにかく一日でも早く!
代表が育てた森を見ないことには何も始まらない

 

11月14日 仕事帰りに新大阪から新幹線に乗り込み熊本県へ。
翌朝、ホテルを出発し三角町を目指し代表のお友達で森を管理されている方のご案内のもと、ついに森を訪ねることになりました。

 

代表の森・・・
その森は下草が生え、光が注ぐ手入れの行き届いた杉林。

ウッドロードの森
ウッドロード 杉の森

今までたくさんの植林を見学させてもらいましたが、 これほど美しい森は数える程しか出会っていないような 気がします。

 

美しい人工林は、ほぼ全てが林業家や国、市町村が管理している森で、林業家でもなく、先祖から山を引き継いだわけでもない そんな方がここまで森を育てるなんて、信じられません。
誰もがこの場所にたてば感じると思います 「気持ちいい!」と。

 

 

 

ウッドロード 杉の森の過去小さすぎて何処にあるのか 分からなかった杉が・・・ 驚くほど大きく立派な森に

植林された物語をご本人から聞き、この場所に立たせてもらったからこそ木から伝わってくるものがよく分かり

ました。 木は全てを教えてくれたんです。

 

 

 

 

 

 

 


間伐された杉の森杉の森 ウッドロードこんな大切に育てられた杉を使えるなんて・・・ 言葉にできませんね。 きみまろの「あれから40年」面白いですよね 「あれから40年!」自分の知らない歴史を感じました。 森の見学を終えてから地元の製材所を訪ねました。

 

熊本の製材所の方に森の写真を見てもらい、一連の流れを お話しすると 返ってきた答えは「この量だと大型トレーラーが5台分。 乾燥も必要だし、他の仕事もあるし、全てを止めて製材してもうちの規模ではとても間に合わない。」

 

「そこをなんとかなりませんか?」

 

「この杉丸太なら売ってしまって、製材された材料を買ったほうがいいよ」

 

「わかっているんです!大阪の木材屋さんに連絡したら電話一本で次の日には材料が届くことも。 それでも!なんとか!」 ・・・・ お話を聞いてくださった製材所の方は自分たちのために一生懸命になって下さり、知り合いの業者さんにも電話してくださいましたが、それでも見つからず。

 

このままではオープンを間に合わすどころか、製材もできない。 このプロジェクトがあまりにも現実離れしすぎていて、どうにかなる状態ではないのだと知り・・・諦めかけました。

 

どうにもならないなら何も考えずに動いてみようと、知り合いの木材屋さんにダメもとで相談することに。

 

その方は兵庫県養父市の正垣木材さん。 使うのは大阪なのに熊本から一旦兵庫県へ、それも北部。 なんとかしたい!ただそれだけで電話をかけると・・・

 

「できるんちゃうかな」

 

と拍子抜けした答えが。 「エ、ホンマデスカァ?・・・・・・・・ ほんまですかぁ!?この量ですよ!!」 こちらが何度も何度も聞き返していました。

 

道は開けた! もうどうにかするしかない! そんな気持ちであの場所に立ちました。

山の上、青い空の下のみかん畑。熊本の森へ

 

熊本から帰ってきてからちょうど一週間後。 大阪から車で兵庫県養父市大屋町にある正垣木材株式会社さんへ。

今回のプロジェクトの思いを、植林された頃からの写真と合せて聞いて頂きました。 大きな丸太から小さな角材まで入れると4000本以上。 量が量だけに皆さんの反応は、 正直、想像以上で驚いておられました。

 

量だけでなく他にも解決しなければいけないことがズラリ。

 

    • 納期の問題 →生木でいけるところは生木のまま使用。 丸太は皮付きのまま、傷や割れ、腐りなどがあってもそれを味としてそのまま使う。
    • 乾燥 →床、壁、天井の仕上げは生木では無理。乾燥させる必要があるので納期を最後にする。
    • 材料の特殊加工 →当初の予定を変更し正垣木材さんの機械でできる本サネ加工に変更。 (サネ・・・板の側面につけた突起。一方が凸で相手側に凹があり、しっかりと組み合うような加工)
    • 足らない丸太
    • 九州から養父までのトレーラーの手配
    • 丸太の状況

など、問題はいくつもあり、こんな状況では引き受けてもらえないのが当たり前で。
でも、もうここしかお願いするところがないし・・・
「お願いします! まずはトレーラー1台分の丸太だけ見てもらえませんか? それでプロが無理と判断されたなら、納期を伸ばすか諦めます。」
そんなお願いをしてこの1台分だけという条件付きで引き受けてくださいました。

 

後日談ですが 実はこの時、このプロジェクトの全容をお聞きになり 正垣木材さんの社長さんは、ほぼお断りするおつもりだったようです。
正垣木材さんがこの時OKをだしてくださらなければこのプロジェクトはどうなっていたのでしょうか!! ご無理を聞いて頂きありがとうございました!!

 


第4章へつづく・・・→ウッドロード誕生秘話【第4章】